フレッツ光 プロバイダを目指す
女優Aが飛行場で、白い布で包んだ物体を持って、「新しいハンディカムが出る。
その名前は…」と叫ぶと、ちょうどその時、ジェット機が後ろを通りかかり、爆音で言葉が消されてしまう。
ティザ-の原則は広告以外でも厳密に守った。
販売唐も協力してくれた。
発売日の朝まで現物が納入できなかった(本来なら発売日の三目前には納入すべきところだが)が、文句も言わずに協力してくれた。
六月二一日の朝、全国、一斉に出荷。
「本当に、びッくりしました。
朝、電気街に様子を伺いに行ってみると、なんとお客さんが長い列をつくっているんですよ。
二〇万円以上もするものなのに、並ばれているというのには、大いに感動しましたね」。
これは、プレイステーションのスタート時の一二月三日の光景にそっくりではないか。
Eはその後、プレイステーションのプロジェクトに異動する。
九三年一一月一日には、当時、宣伝統括だったI伸之から、「お前、動かされようとしているぞ」「国内営業部の企画だよ」「それは……、面白くなさそうですね」「そうか…、それじゃ、ここに行ってみないか」と、紹介されたのが、プレイステーション事業準備室だった。
S明との面接で、得意は広告と言ったら、「ふーん、広告なんかやりたいの?」と言われた。
「なんか」なんて言われたので内心、ちょっと腹が立った。
プレイステーションのデビュー戦術は、まさにTR日のやり方と同じである。
「TRの体験なしには、あのプレイステーションのデビュー作戦は仕切れなかったでしょう」と佐伯は言う。
TRの体験とは①宣伝に数十億の資金を使う経験。
ソニーの八ミリビデオでは半年で五〇億円使った。
全国でスポットCMを打っと固から五億円かかる。
新聞で展開するとそれだけで七~八億円かかってしまう。
そうそう簡単には使えないものだし、経験がないと媒体の配分戦略も思いつかない。
②ティ-ズをやる上での知恵がついた。
それはティ-ズができる条件ーーその製品に果たしてティーズをかけられるかーーを厳しく問うたことである。
その第一の条件として、まずカテゴリーがユーザーの興味ある分野でなくてはならない。
その分野がマーケットから認識されていなくてはならない。
いくら画期的であっても、それが世界初という分野では、ユーザーは奥味を喚起されない。
TR日は当時、VHS-Cムービー対八ミリビデオ規格の次世代ビデオ戦争ということで、話題が沸騰し、世聞からも大いに注目されていた。
第二の条件は、商品がか正しく。
なければならないということ。
アオリ広告を打つのだから、その正体が分かった時に、なるほどと思ってもらえるものでなければならない。
何だこんなものだったのかと思われたら、信用がなくなる。
誰もが納得するイノベイティブな商品でなければならないのである。
第三の条件が、商品のデリパリ-は確実に確保しなければならないこと。
広告が効き、殺到した時でも、供給は確保されなければならない。
「TR日の時は、とても不安でした。
逆に作りすぎて、余るんじゃないかと思ったほどです。
過去のAV商品の経験からすると二〇万円以上もするものが、そんなに簡単には売れないですよ」。
ところ、が、八九年六月二一日、蓋を聞けてみたら、一週間できれいに消えてしまった。
このTR日の時の成功の条件から、今回のプレイステーションの条件を考えてみると、まず、第一に話題性は十分だった。
十分すぎるほど注目度は高かった。
次世代ゲ-ム機戦争の記事が新聞、雑誌を飾り、マニアは当然のこと、一般的にも広く話題に上っていた。
すでに五月一〇日に、SCEIはマスコミにプレイステーションのフォーマットを発表していた。
デ、ザインモックアップも公表されていた。
松下の3DOも、それなりに盛り上がっていた。
「ユーザーが知悉した分野であることという条件は、完壁に揃っていました」。
第二にプレイステーションの商品性。
ハードとしてはEはKを信じていた。
何の心配もしていなかった。
しかし、問題はソフト。
発売時にちゃんと揃うか。
第三に供給量の問題。
九四年七月の段階で何台を発売日に用意するのか、まだ何も決まっていなかった。
任天堂の場合の過去のデ-タはあるが、プレイステーションの吸引力がいったいどのくらい強いのかイメージが沸かない。
初日にどのくらい出るものかもまったく見当がつかない。
同じ家電系といっても3DOの例は、条件が違いすぎて参考にならない。
参考にしたのは、むしろTR日の例だった。
では、どのくらい供給しなければならないのか。
「なんとなく、みんなでしゃべっていると、初めの一カ月で三〇万台売れたら凄いねという話になりました。
するとやはり初日は一〇万台だ。
まあ、なんとなくですね」(E)。
でも実際は初日一〇万台、その月のうちに三〇万台用意するのが、やっとだった。
としては全社を挙げて、プレイステーションの発売に臨んだ。
そうなることを信じて、ソフトが揃うことを前提に宣伝計画を立てるSCEIは当時フォーマット広告ができるのはプレイステーションしかないから二三二のスタートアップ・キャンペーンは大成功のうちに終わった。
本当に初日に一〇万台が売り切れた。
「コアユーザーが一二月三日に並んでくれるかどうか前日まで分かりませんでした。
でも、実際には熱狂的な雰囲気の中、皆が列をなして並んでくれた。
そのことが今でも忘れられません」。
それから、実際にビジネスが始まってからは、仕掛けの連続。
そこには強烈な思いがあったことを、見逃してはならない。
それがことだ。
任天堂のやり方は、その時の強力ソフトをキャンペーンするというものだ。
それはそれでゲ-ムビジネスとしては正しいやり方だが、プレイステーションはその路線はとらなかった。
プレイステーションの広告とは、現在、フォーマットがどういう状態にあるのかをユーザーに認知させるものとしたのだ。
現在、プレイステーションはどういうアクティビティにあるのか、それがどこを向いているのかを、フォーマットとして、ユーザーに積極的に知らせることを旨とした。
「つまり広告は経営方針の反映なんです。
経営の意思決定が正しいことが広告ではいちばん重要です。
フォーマット広告は、そうでなければ成功しません」。
プレイステーションの成功を分析すると、さま、ざまな要因が挙げられるが、フォーマット広告に徹して、ファンの耳目を引き、急激にユーザーの数を増やす原動力になったことも挙げられる。
まず発売日の一二月三日から一二月二〇日までは、「すべてのゲームはここに集まる」。
これはプレイステーションが決してかマルチメディア機。
を指向したものではなく、面白いゲ-ムをするためのかゲ-ム専用機dなのだという明確なメッセージだった。
マルチメディアを標梼していた3DOとは違うことをアピールした。
当時はゲ-ムの新参者だったが、プレイステーションの上にこれから多くのゲ-ムが集まり始まると訴えた。
「フォーマット広告ができるのはプレイステーションしかない」というフォーマット広告の典型例として今でも語り継がれるのは、九五年春の「いくぜ一〇〇万台」ンペーンだ。
「これはいったい何だろう。
誰に当てたメッセージなんだろうか」と当時、話題になったものである。
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